動物行動学から見る人材教育<叱らない叱り方>

-----「叱る・ほめる」とは、一体どういう事なのでしょうか-----

前回のエントリー「動物行動学から見る人材教育<ほめないほめ方>」では、きちんとほめられた相手側が「私はほめられた」と感じなければほめた事にはならないと書きました。
ということは、相手側がほめられたと感じさえすればそれでいいということになります。
この視点で再度「叱る・ほめる」を考えてみましょう。



-----「叱る・ほめる」を「プレッシャー&リリース」といいます-----

馬をトレーニングする時にも、やはり「叱る・ほめる」を使います。
もしかしたら、人に対して使う時よりもずっと繊細に使っているかもしれません。
エントリー「動物行動学から見る人材教育<小さな反抗>」でも書いたとおり、馬はトレーニングの中で 様々な反抗をします。
その理由は「それはやりたくありません」 から始まって「あなたの言うことは聞きません」まで様々です。

もちろんこんな馬のわがままを許していたらトレーニングになりませんので、反抗に対してはきっちりと咎めていきます。
咎めるといったところで馬は人語を解しませんから、馬との対話は物理的な接触、つまり手や脚によるプレッシャーで行うことになります。
例えば、軽く左の手綱を引いたにもかかわらず左に向かなかったならば、次はもっと強い力で左に手綱を引くことになります。
それでもまだ馬が反抗を見せるならば、次は脚を使うこともあります。
脚を使ってもまだ反抗する場合には、手綱を鞭代わりに使うこともあります。
とにかくどんな方法を使ってでも、馬の反抗をとることが必要となるからです。

さて、ここでいうプレッシャーとはどのようなものだとお考えでしょうか。
「咎める」や「プレッシャー」というと、つい厳しいものを想像しがちになりますが、必ずしもそうではありません。
馬の口についたビット(はみ)に繋がった手綱を、小指でほんのわずか握り込むだけで馬には伝わるのです。
また脚を使うと書きましたが、これもふくらはぎに少し力を入れる程度で伝わります。これで伝わらなければ、踵でドンと蹴ることもあります。
馬同士のケンカを見るとわかりますが、かなりの激しさで蹴り合ったりしています。
それを考えると、人が蹴る程度では何の影響力もないでしょう。
これはトレーニングされた馬だからこそ出来ることなのですが、実は非常に重要なポイントなのです。

つまり「馬がプレッシャーだと感じた」らそれはプレッシャーなのです。
ライダーがそれをプレッシャーだと思うかどうかなど、まったく関係ありません。
舌打ちだけで馬が反応したならば、それでもかまわないのです。
そうして馬がライダーのプレッシャーに反応した瞬間に、それまでかけていたプレッシャーを解放します。
これを「リリース」と呼びます。
ライダーはこの「プレッシャーとリリース」を使いながら馬をトレーニングするのです。
馬は人語を解さないから、馬と人との共通言語である「プレッシャーとリリース」を使って「会話」しているのです。



-----「プレッシャー」はその強さ加減が難しいのです-----

馬が反抗を見せたとします。
当然ライダーはプレッシャーをかけて反抗を取り除こうとします。
その結果、馬はライダーの指示に従ったとしましょう。
次に同じ指示を出すときに、多くのライダーは「前回はこの程度のプレッシャーをかけないと反応しなかったな」と考えます。
そうして前回と同じ強さのプレッシャーをかけます。
当然馬は反応しますので、ライダーはリリースします。
しかしこうしてトレーニングを受けた馬は、次第にそのプレッシャーでは反応しなくなっていきます。
そうなるとライダーは、さらに大きなプレッシャーをかけなければならなくなります。
これを繰り返した馬は最後にどうなるでしょう。
最後には馬が全く反応しなくなってしまいます。
人の力には限界があるからです。
こんなことを望んではいなかったはずなのに、いったいどこに問題があったのでしょう。

二度目の指示の際、当初と同じ強さのプレッシャーをかけたことが問題なのです。
プレッシャーは何のためにかけるのでしょうか。
反抗を取り除くためにかけるのです。
プレッシャーをかけること事態が目的ではありません。

二度目の指示の際にライダーがしなければならなかったことは、指示に対して反抗するかどうかをチェックすることだったのです。
まさにこれが<ゼロで乗る>です。
反抗しなければ、そもそもプレッシャーをかける必要もありません。
その見極めをせずに同じプレッシャーをかけること自体が問題であるうえに、同じプレッシャーをかけ続けると次第にプレッシャーに対して耐性ができてしまいます。
プレッシャーをかけられた状態が普通になってしまうのです。
ライダーは軽い指示で思い通りコントロールできるようにしたいはずです。
そのためにはプレッシャーをかけていない状態を作り出す必要があります。
はじめにプレッシャー0のレベルがあるからこそ、1のプレッシャーで馬が動くようになるのです。




-----叱ってばかりいると、その状態が普通となります-----

ここまで馬のトレーニングについて書いてきましたが、人も同じです。
だれも怒鳴り散らして部下を動かしたいと思う人はいないでしょう。
できれば「これやってくれるかな」だけで思い通りの仕事をこなしてくれることを期待しているのではないでしょうか。
であるにもかかわらず、職場には怒号や罵声が飛び交っているのはなぜでしょう。

「叱る・褒める」は「プレッシャー&リリース」であると考えると、一つの方法が見えてきます。
大切なことは

ほめられたかどうかは、ほめられた相手がほめられたと感じていればいい。

でした。
禅問答のようですが、ほめられたと感じるということは、その直前にほめられていない状態があるということになります。
ほめられていない状態とは叱られている状態ではありません。
ただほめられていない状態があるだけです。
しかしこれもプレッシャーとして使えるのです。
叱られたかどうかは、叱られた相手が叱られたと感じたならば、叱られたことになります。
馬へのプレッシャーのかけ方と同様、ほめない時とほめる時を明確にすることで「ほめない=叱る」とすることが出来ます。

ここには「叱らない叱り方」が存在します。
叱ること自体が目的ではなく、指示通り動いてくれるかどうかが大切なのです。
明示的に叱ってばかりいると、その状態が普通になってしまいます。
こうなると、さらに強く叱らなければ反応しなくなってしまいます。
これを避けるためには叱っていない状態を創り出すしかありません。
いつも100でプレッシャーをかけると、そのプレッシャーに馴れてしまうのは馬も人も同じです。
「課長、また同じこと言ってるよ」
あなたもこう思ったことがありませんか。
怒鳴り散らしていると、その状態が普通になってしまいます。
それ以上のプレッシャーとは、どのようなものでしょう。
考えただけで恐ろしくなります。




-----「叱る・ほめる」は信頼関係の上で成り立っています-----

馬をトレーニングするとき、馬と人とは信頼関係で成り立っています。
馬はライダーに素直に従えばプレッシャーから解放されることを知っています。
と同時にライダーに反抗すればプレッシャーをかけられることもわかっています。
だからこそライダーは、馬が反応した瞬間にリリースしてやらなければなりません。
反応したにも関わらずリリースしてもらえなかったら、馬はライダーに不信感を抱きます。
また同じ反応に対して、あるシチュエーションではプレッシャーをかけ、別のシチュエーションではリリースをすると、馬は混乱します。
どう反応すればプレッシャーから解放されるかが分からなくなるからです。
こうなると馬と人との信頼関係は崩れてしまいます。

人も同じです。
指示通り動いたにも関わらずねぎらいの言葉一つなかったら・・・。
同じ反応をしたにも関わらず、ある時はほめられ、ある時は叱られたら・・・。
その上司に不信感を抱くことになります。
信頼関係を築くためには、一貫性が必要です。
プレッシャー0の状態で動いてくれれば、上司も部下も最高のパフォーマンスを発揮できるでしょう。
「叱る・ほめる」はそのために使うのです。

反応した瞬間にリリースしなければならないと書きましたが、 これが案外難しいようです。
次回はこれについて解説しましょう。