動物行動学から見る人材教育<小さな反抗>


-----馬はまっすぐ前に進むものだと思っていませんか?-----

馬に乗る目的は何でしょう。
ただ馬の背に揺られてのんびり散歩を楽しむのもいいでしょう。
馬に跨がりさえすれば、皆さんはのんびりと散歩を楽しめるとお考えでしょうか。

馬に跨がった人が次にすることは何でしょう。
前に進もうとするはずです。
そのために、人は前に進めという合図を送ります。
合図をされた馬は前に進み始めます。
進み始めて少し経つと、人は違和感を感じ始めます。
馬が勝手に曲がり始めるのです。
まっすぐ前に進もうと考えているのに、なぜか曲がり始めます。
何とかまっすぐにしようとして手綱を引っ張っても、馬はまっすぐ進もうとはしません。
今度は手綱を引っ張った方に曲がってしまいます。
繰り返し手綱を引っ張るうちに、馬は手綱を引っ張られた方に首を曲げたまま、逆の方に進み始めます。
そうして、やがて歩くのを止めてしまいます。
こうなると、蹴ろうが何をしようが全く動かなくなってしまいます。
なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。
いったい何が原因だったのでしょう。
跨がった人がなにか馬に嫌なことをしたのでしょうか。


-----初めの第一歩が全てを決めます-----

これは馬が動き出す一歩目に原因があったのです。
しっかりとトレーニングを受けた馬でさえ、多くの場合このようなことが起きます。
人が跨がって前に進む指示を出した時、馬は足を前に一歩出しますが、まっすぐには出さず蹄一つ分ほどずらして一歩目を踏み出します。
これは馬が人を試しているのです。
跨がった人が自分が従うべき資質を兼ね備えているかどうかを馬はチェックします。
この蹄一つ分ずらした事実について、跨がった人がどう反応するかを見ているのです。
蹄一つ分ずらして前に進むということは、馬の反抗の表れです。

そもそも馬という動物は、人をその背に乗せるために産まれてきたわけではありません。
馬は自分で好き勝手に走ることは好きですが、人に命じられてその通りに走ることは好きではありません。
ですから自分をうまくコントロールしてくれる人でなければ、その言うことを聞かないものです。 そのため、自分に跨がった人がどの程度自分のことを理解してくれているのか、馬は必ずテストをします。 馬が人を試す場合には、人の指示に対して少しだけ反抗するという方法で始まります。
これを<小さな反抗>と呼びます。
ライダーの経験が浅いうちは、これが分かりません。 蹄一つ分ずれた程度では感じ取れないからです。 ライダーがこれに気づかなければ、馬は次にもう少しずれ幅を大きくします。 そうするうちに、少しずつ曲がり始めます。こうなるとさすがに未熟なライダーでも気づくのですが、その時にはすでに<小さな反抗><大きな反抗>となっています。もう馬はその人には従おうとはしません。ライダーが馬に負けた瞬間です。

このときの馬の心理を考えてみましょう。もし馬が言葉を話せたら、この瞬間ライダーに向かって何を言うでしょうか。

「今頃になって急になんですか? 今までずっと何も言わなかったじゃないですか!」

これが<小さな反抗>を見逃してしまった結果です。<小さな反抗>を見逃すことは、それを黙認したことになります。馬は蹄一つ分ずらした時に咎められなかったことで、それを許してもらえたと考えるからです。ずっと何も言われずに許されてきたことについて、ある時突然注意されたら、皆さんはどう思うでしょうか。


-----初めは偶然なのかもしれません-----

上司が部下を指導する時のことを考えてみましょう。上司がある仕事を部下にさせたとき、部下がこれをミスしたとします。もしそのミスが致命的なものであれば、当然その場で注意をするでしょう。それでは、そのミスが些細なものであればどうでしょう。

忙しい上司であればあるほど、この些細なミスを見逃しがちになります。大勢に影響を及ぼす恐れがないことから、つい見て見ぬふりをしてしまう上司も多いでしょう。しかし、本当にこれは些細なミスなのでしょうか。

例えば、仕事先で上司と待ち合わせをしていた時に遅刻をしたとしましょう。当然叱られると思っていたところ、上司は「それじゃ行こうか」と何事もなかったかのように言いました。次の時にも少し遅れてしまいましたが、やはり上司は何も言いませんでした。こうなると「少しぐらい遅れても大丈夫」だと考えるようになって当然です。ところが1年ほど経ったある日、待ち合わせに3分ほど遅れたあなたに向かって、その上司が烈火のごとく叱りつけたら・・・。あなたは素直に悪かったと思えるでしょうか。「今頃になって急になんですか? 今までずっと何も言わなかったじゃないですか!」そう思うのではないでしょうか。



-----本気で部下を良い社員に育てたいと考えるならば-----

待ち合わせでわずかに遅刻するだけならば、まだ許せるのかもしれません。しかしその事が原因で「この上司は叱れない」と思われたらどうでしょう。部下にとっては「些細なことだから、いちいち咎めない」ことと「叱れない」ことはイコールです。上司が「些細なことだから、いちいち咎めない」と考えていたとしても、それを部下が「叱れない上司」だと感じたならば、その部下は「この上司は叱れない」と考えることになります。叱れない上司の下では、部下は冗長していくことは火を見るよりも明らかです。

本気で部下を良い社員に育てたいと考えるならば、面倒ですが<小さな反抗>はその都度潰していく必要があるでしょう。 うるさがられても、それが人材教育の基本です。