動物行動学から見る人材教育 <ゼロで乗る>


−−−−−−ゼロで乗るとはどういう意味なのでしょう−−−−−−


聞き慣れない言葉ですね。

これは日本におけるレイニング(ウエスタン馬場馬術)の第一人者である土岐田勘次郎氏の言葉です。

土岐田氏はレイニング競技に出場するための馬を生産・調教している方で、トレーナーとしてもライダーとしても日本一二を争うほどの実力者です。 彼は馬をトレーニングするときの鉄則として<ゼロで乗る>を徹底しているといいます。


土岐田氏は次のように言います。

馬がこちらの指示通りに動かなかった場合、手綱やハミ・脚を使って咎めることでそれを修正するのですが、直ったかどうかを確認する必要があります。

その1つの方法として、次にその馬に跨るとき全くプレッシャーをかけずに馬にやらせてみるのです。

これを<ゼロで乗る>と言います。

できればOKですが、出来なければ再度修正することになります。


つまり<ゼロで乗る>とは、自分の意図するところが馬に伝わったかどうかを確認するために、何も注意を与えずにもう一度やらせてみることをいいます。 馬は基本的に人を乗せたくはないものです。 仮に人を乗せたとしても、人の指示に従うよりも自分の好きなように動きたいと考えます。 しかしそれでは競技において馬をコントロールできなくなりますので、人は自分の意図するとおりに馬を動かそうとします。 そのために手綱やハミ・脚などを使って指示を出し、指示通りに動かなかったときには咎め、指示通りに動いたときには褒めます。 これを繰り返すうちに、馬は何をしたら咎められ、何をしたら褒められるのかを学習していきます。 そうしてライダーの意のままに動く馬ができあがっていくのです。 この一連のトレーニングにおいて、重要なファクターの一つが<ゼロで乗る>だと言います。

この<ゼロで乗る>を別の言葉で言い換えると、復習テストとなります。 前回までにやったことが理解できているかどうかをチェックするためには、実際にやらせてみるのが一番です。 トレーナーが何も補助を出さなくとも、合図だけで意図する動きが出来れば、それ以上咎める必要はないでしょう。





−−−−−−重要なのは方法ではなくタイミングです−−−−−−



これを人間の世界に置き換えてみましょう。 企業経営において<ゼロで乗る>が必要となるシチュエーションは、人を雇う、管理職に昇進するなど部下を持つことになるなどの人材教育のシーンです。 多くの部下を教育したきたベテランならばともかく、初めて部下を持たされた管理職や初めて人を雇う経営者は、ここでかなり悩むことになるでしょう。 なぜ上司は部下を教育しなければならないのでしょうか。 いろいろな考え方はあるでしょうが、突き詰めると上司の意図するとおりに動かすためでしょう。 部下が自分勝手に動いたならば、統制がとれなくなり企業全体のパフォーマンスが落ちることになるからです。

そのため上司は時には咎め、ときには褒めながら部下を育てていくことになりますが、多くの人が悩んでいるところを見ればどうやら一筋縄ではいかないようです。 従来の人材教育のスタイルは、叱ることが中心だったようです。 上司の意図するとおりに動かなかったときに咎めることで、部下を教育してきたのでしょう。 最近はそれが褒めて育てる方向に代わってきたようです。 それでは、褒めて育てる方法で部下が劇的に育つようになったのでしょうか。 残念ながらそのような話はあまり聞きません。 もちろんそれによる成功事例はあるでしょうが、誰でも簡単に使える方法ではないようです。

わたしは馬のトレーニングを通して、ある一つの発見をしました。 最も重要なのは褒め方・叱り方にあるのではなく、褒める・叱るのタイミングにある。いつ褒めて、いつ叱るのかが最も重要だと考えるに至りました。

上司はなぜ部下を褒めたり叱ったりするのでしょうか。 目の前の作業を失敗させないために叱るのでしょうか。 その時うまくいったから、その事実を認めるために褒めるのでしょうか。 いいえ、そうではありません。 その部下が、いずれ独り立ちして一人前の社会人として機能するためです。これを履き違えてしまうと、いつまでたっても部下は思い通りに育たなくなってしまいます。 「言われたことだけはなんとか出来るようになるんだけど、いつまで経っても応用が利かなくて・・・」 こういう話を良く耳にしますが、これなどはまさに履き違えてしまった典型例だといえるでしょう。

最近の心理学的研究からは、賞与の支給がモチベーションに繋がらないことがわかっています。 その理由の一つとして挙げられているものが、褒めるタイミングです。 賞与支給の原因となった事実が生じた時期と、賞与支給の時とが離れていることが問題視されているようです。 これはまさに褒めるタイミングを間違った例です。 皆さんもそうだと思いますが、なにかうまくいった時にはそれを他人に話したくなります。 これはその事実をその瞬間に褒めて欲しい、認めて欲しいという欲求から来るものです。





−−−−−−重要なのは「それ以上咎める必要がない」ことです−−−−−−



ある事柄で失敗した部下を咎めたとします。 もちろんこれは必要なことです。言うまでもなく、それが部下を育てることに繋がるからです。 しかし本当に重要なのは、この次なのです。 次にまた同じ事柄を部下に命ずることがありますが、ここで多くの上司は共通の過ちを犯します。 「確か以前にもここで失敗したな・・・」 こう考えてしまい、「今度は失敗するなよ」などと言ってしまうのです。 もっとひどい場合には、部下に手順を説明してしまいます。 これは部下を失敗させないためには良い方法だと思われますが、なぜ問題なのでしょうか。

以前に咎めた意味がなくなるからです。 失敗した部下を咎めたのは、失敗したという事実に腹を立てたからなのでしょうか。 そうではありません、「次は咎めなくてすむように」という思いからのはずです。 そうであるならば、部下が失敗するかどうかを黙って見届ける必要があるのです。 これが<ゼロで乗る>の意味です。 部下が咎められたことについてどのような成長を見せるのかは、黙って見届ける以外に測る方法はありません。





−−−−−−人は言葉を話す動物です−−−−−−



<ゼロで乗る>のもう一つの側面は、真実を見つめることにあります。

部下の成長を願うのであれば、その成長が真実であるかどうかを見極めなければなりません。 馬は言葉を話しません。ですからトレーナーは馬の一挙手一投足を慎重に見極めながら、その成長を判断します。 しかし人は言葉を話します。そしてその言葉は全てが真実であるとは限りません。 時には言葉によって判断を誤ることもあります。 これでは部下の成長が本当のものなのかどうかの見極めが出来なくなります。 あえて何も言わず何も聞かずに<ゼロで乗る>を実行することで、部下の理解度を正確に測ることが出来ます。

全ては部下の成長のため、時には上司が我慢して声をかけないことも必要なのです。