動物行動学から見る人材教育<相手が理解できる言葉で伝える>

-----「右に曲がれ」を教える時には「右に曲がること」自体を教えるのではありません-----

馬のトレーニングでは、ライダーの意思を馬に的確に伝えなければなりません。しかし残念ながら馬は人語を解しません。そこでライダーは馬が理解できる言葉で伝えることになります。
例えば右に曲がることを馬に教えるとします。ここでライダーが馬に教えなければならないことは何でしょうか。馬に「右に曲がること」を教える時には、実は「右に曲がること」自体を教えるのではありません。なぜならば、馬は生まれつき右に曲がることは出来るからです。
それでは何を教えればいいのでしょう。
ライダーはライダーが指示した時に、その指示通りに右に曲がることを教えるのです。

相手が人であれば「わたしが指示をした時に、きちんと右に曲がりなさい」と言葉で伝えることが出来ます。外国人など言葉が通じなくともジェスチャーなどである程度の意思疎通は可能ですが、相手が馬ではこれも出来そうにありません。そこでライダーは人と馬との共通言語を探して、それを用いて馬と会話をすることになります。馬との共通言語とはいったいどのようなものなのでしょう。ジェスチャーでしょうか。馬の目の前にいるならばジェスチャーで意思を伝えることも可能でしょう。しかしライダーは馬の目の前にいるわけではありません。それではどこに?答えは馬の上です。馬の上にいるということはジェスチャーで伝えることも出来なくなります。



-----自分勝手な言動は相手に混乱しか与えません-----

ライダーが馬と会話を交わすには自分の体を使うしかありません。声・手(指)・脚・体重移動を駆使してライダーは馬と会話をします。
皆さんだったら馬を右方向に進めたい時にはどうするでしょう。
多くの人は右の手綱を引っ張ることでしょう。右に曲がりたいのだから右の手綱を引く。これは理屈が通っているように感じます。しかしウエスタン馬術の世界では全く逆です。右に曲がるときには左の手綱を馬の首に軽く当てるようにします。これがウエスタン馬術での「右に曲がる」を意味する馬との共通言語となります。馬が理解できる言葉で伝えなければ、右に曲がることさえ出来なくなってしまいます。きちんとトレーニングされた馬であれば、手綱を右に引いたら首を右に受けたまままっすぐ進みます。ウエスタン馬術の世界では、手綱を右に引く事は「右に曲がる」事ではなく「首を右に曲げる」事を意味するからです。ここでは「右に曲がりたいのだから右の手綱を引く」という、人の自分勝手な意思や感情は全く意味をなしません。



-----一つの単語には一つの意味しかないとは限りません-----

人も同じです。
上司が部下を指導する際に、人はどのようにして意思を伝えるのでしょう。人と人との間での共通言語は言葉です。人は言葉で意思を伝えることが出来るだけに、逆に大きな過ちを犯してしまいます。外国語であるならばまだしも、同一言語を用いる場合に特に陥りがちな過ちです。その過ちとは自分の用いる言葉の持つ意味がただ一つだけだと考えてしまうことです。
例えば「所得」という言葉は、本来は税法上の専門用語です。税理士などの専門家は別として、これを専門用語通りの意味で用いている人はほとんどいません。本来単一の意味を持つはずの専門用語でさえ別の意味で常用語化していますので、よほど気をつけなければ「右に曲がりたいのだから右の手綱を引く」事になってしまいます。

概念的な言葉を用いる時には特に注意が必要です。 「幸せ」という言葉を知らない人はいないでしょう。それではこの言葉の意味を誰かに正確に伝えることは可能でしょうか。あるいは「快適」という言葉の意味を誰かにきちんと伝えられるでしょうか。
最近でこそ独りよがりの専門用語を振りかざして説明する人は少なくなりました。しかしまだまだ曖昧な言葉については、相手も自分と同じ意味で捉えていると思い込んでいる人が多いようです。
特にこれが問題となるのが経営理念の浸透時です。
「お客様の幸せ」という表現は多くの企業の理念に見られるものです。この理念を作成した経営者が考える「お客様」と、従業員が考える「お客様」とは本当に一致しているのでしょうか。経営者が考える「幸せ」と従業員が考える「幸せ」は本当に同じなのでしょうか。特にこのような概念的な表現を用いる場合には「常識」や「これぐらいは知っているはず」はタブーです。曖昧な言葉や概念的な表現を用いる時には、必ずその意味を定義してやる必要があります。


-----言語は時の経過に従って変化します-----

言語は時の経過に従って変化するものです。
最近「ヤバイ」という言葉の使い方が変化している事で、上司と部下の間での意思疎通が出来にくくなっているというニュースがありました。そもそも「ヤバイ」という言葉は犯罪者の間での「危ない」を意味する隠語だったようです。当時使いはじめた人たちは、おそらく同じように意思疎通が出来ないと言われたことでしょう。
正しい日本語の指導をする場合を除いて、部下の指導をする時には的確に迅速に目的を達成することが求められます。部下の使う言語を変える事と上司がその意味を理解する事とでは、どちらがスムーズでしょう。外国語をマスターする時には新しい単語を暗記するのに、なぜ新しい日本語は理解しようとしないのでしょう。部下の使う言葉を理解する事が、理解出来る言葉で伝える第一歩なのかもしれません。自分が使う道具を替えることが、時には目的を達成する早道となります。