動物行動学から見る人材教育<叱ると教える>

-----出来ない理由は3つあります-----

馬をトレーニングする時にはプレッシャーとリリースを用いる事はこれまで説明してきた通りです。今回はプレッシャー(叱る)についてもう少し踏み込んでみましょう。ライダーは馬に意図した動きをさせるためにトレーニングをします。意図した動きを見せたときには即リリースしてほめますが、意図した動きをしなかった時にはどうするのでしょう。

ライダーはこれだけで叱る事はしません。馬がいう事を聞かなかったのになぜライダーは叱らないのでしょうか。
馬に意図した動きを求めた場合において、馬が指示通り出来ない理由には次の3つがあります。

          (1)知らないから出来ない
          (2)準備が出来ていないから出来ない
          (3)出来るけど嫌だからやらない

ライダーはこの3つの状況に応じて対応を変えます。「知らないから出来ない」ケースでは、そもそもライダーの指示の意味がわかっていないので叱ったところで意味がありません。
とこのように文字にするとこれに反対する人はいないでしょう。しかし現実には多くの人がやってしまっています。なぜ頭では理解できているのに行動レベルで間違ってしまうのでしょう。

想像してみてください。
目の前に馬がいるとします。「どうぞ乗ってください」と言われたらあなたはどうするでしょう。
「怖いから遠慮する」という選択肢ではなくて、乗る事を前提に想像してみてください。馬に背にまたがったあなたは、おそらく前に進もうとするでしょう。どうやって?「確か脚で馬の横腹を蹴ればいいんだっけ?」そう考えたあなたは、軽く蹴ってみるでしょう。でも馬は前に進みません。少しずつ蹴る力を強めていくものの一向に馬は前に進みません。ここであなたは「私が下手だから動かないんだろう」と考えてしまいます。

少し馬に乗れるようになった中級者であればどうするでしょう。中級者は「私が下手だから動かないんだろう」とは考えません。「馬が動きたくないのでサボっている」と考えます。そこで自分が知る限りの方法で馬を叱りつけます。多くの馬は叱られたくないので前に進むでしょうが、逆にもっと激しく反発してくる事もあります。これを繰り返すと馬は人を乗せる事に恐怖と嫌悪感を抱くようになります。こうして暴れ馬が誕生します。

上手なライダーは馬の反応をみながら「この馬は知らないのか、準備が足りないのか、それともサボっているのか」を判断します。その上でサボっている時だけ叱りつけますが、それ以外で叱る事は一切しません。横腹を蹴って馬が前に進むのは、馬がそのように調教されているからです。教えられていない馬は、横腹を蹴られた意味すらわかりません。
上手なライダーはこれを知っているのです。

-----教育は自己満足のためではありません-----

人も同じです。
上司は部下に業務を命じ部下はこれをこなす事で仕事は成り立っています。上司が多くの指示を出す中で、必ずしも部下が意図した結果を出すわけではありません。あなたが望んでいた通りの仕事を部下が出来なかったとしたらあなたはどうするでしょう。
新入社員や異動直後などで「どうすればいいのかを知らない」事が明らかであれば、あなたはいきなり叱りつける事はしないでしょう。なにが悪かったのかをきちんと教えて、次は間違うなよと声をかける事でしょう。
あるいはもし原因が準備不足(自分の指示が曖昧だったなど)である事が明らかであるならば、きちんと準備を整えてからやり直させるでしょう。
もし明らかにサボっている事が明らかであったならば、当然叱りつけて理由を問いただすでしょう。
この行動は間違いではありませんしこれに疑問を感じる人は少ないと思いますが、なぜか出来ない人が多いのも事実でしょう。なぜ頭では理解できているのに行動レベルで間違ってしまうのでしょう。

先ほどの馬の例に戻ってみましょう。
初心者や中級者と上級ライダーとの違いは、この3つを見極められるかどうかにありました。上手なライダーであればあるほど、はじめてまたがる馬がどこまで理解しているのかをチェックし、その上で叱るべきか教えるべきかを判断します。
ここでのチェック方法に大事なポイントが隠されています。
上手なライダーは、自分の先入観や常識にとらわれる事なく、その馬が理解しているかどうかを探ります。
ライダーが馬をトレーニングする理由はその馬をより良くするためであり、ライダーの自己満足のためではないことを理解しているからです。

-----自分の中の常識が邪魔をしてしまいます-----

馬は人ではありません。だからこそ逆に人間としての常識にとらわれずその馬が理解しているかどうかを探る事ができます。
しかし相手が人となると途端に難しくなります。
「先入観や常識」が邪魔をするからです。
ほとんどの人は自分は常識的であると考えています。そしてそれは間違いではありません。ただし「あなたを取り巻く狭い世界の中にいる限りにおいて」という大前提がつきます。
常識というものは、あなたが生まれてから今までの間に身につけた経験にすぎません。その証拠に日本と中国では常識が全く違います。日本においてさえ今の常識と50年前の常識は全然違います。
たった50年ですっかり変わってしまうものであるならば、20年も経てばかなり変わっているはず。あなたの常識とあなたの部下の常識が違っていても何らおかしい事ではないのです。
その証拠にいつの時代も「最近の若者は・・・」と言われます。自分の常識が世代を超えてすべてに通用すると考えているからでしょう。

皆さんもかつては「最近の若者は・・・」と言われてきたはずです。その気持ちを忘れずに、「今は叱るべき時なのか、それとも教えるべき時なのか」を自分の中の常識にとらわれることなく判断してみてください。
きっとその人は素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれることでしょう。