事業計画の実現性が問われて否決されたケース

Y氏は小さなうどん屋を経営している58歳の個人事業主である。年商700万円、所得金額20万円。10人ほどの常連客を中心とした営業形態だ。青色申告を選択し、年間10万円の青色申告特別控除を受けている。
現在、母親、弟との3人暮らしであり、弟(56歳)はアルバイト(年収200万円)である。
Y氏は10年ほど前からウクレレを始め、現在ではかなりの腕前らしく、通っている教室ではトッププレイヤーとのことだ。オーダーメイドのウクレレを5本所有している。

今回の借入目的は「新規事業の開業資金」であった。
自分でウクレレ教室を開きたいとの意向である。
教室の開業資金(敷金、内装費など)として250万円、当面の運転資金として50万円の合計300万円での申込である。


ここまでのデータで、すでに大きな疑問点が存在する。
この家族の生活費である。
弟の年収200万円に加え、母親の年金が年間60万円程度。Y氏の収入はわずかなので、実質260万円で親子3人が暮らしていることになる。住居は賃貸で、家賃は月13万円。仮に食費を月5万円に切り詰めているとしても、その他の生活費全般を年間40万円で賄うのは不可能に近いだろう。
となるとまず考えられることは不正経理、いわゆる脱税である。
個人企業では、経営者家族の生活費を費用に付け込むという脱税をよく見かける。家庭で用いる備品類を筆頭に、家族で出かけた外食費、インターネット接続料、有線放送、電気、ガス、水道、飲食業においては日々の食費まで費用として計上していることがある。
Y氏に問い合わせてみると、やはり個人生活費の付け込みをやっているとのことであった。その上いわゆる「つまみ申告」をしていることもわかった。

「つまみ申告」とは、日々の売上高のうち「一部をレジからつまみ抜いて、売上をごまかして申告する」ことである。
正しく申告すれば所得金額は150万円程度だろうとのことである。どうやらこのカネをウクレレにつぎ込んできたようだ。

この問題点は少し置いておいて、次に進むことにする。
今回自分でウクレレ教室を開きたいということで、事業計画書を作成してきていた。
概略は次のようになる。
【売上】月謝を5,000〜8,000円に設定し、30人程度集まれば月商
    20万円となる。1〜2年程度で軌道に乗れば月商50万円は
    見込める。
【費用】家賃・外部講師などの費用を月額15万円と見込んでおり、
    月5万円程度の利益が残る計算である。
【集客】現在通っているウクレレ教室の交友関係を中心に20人ほどの
    見込み客がおり、他に競合の教室が存在しないため、告知
    次第では充分集客は出来る。

ある行員がつぶやく声がした。

「この集客計画に根拠はあるのですか?」
通常はお世話になっている教室からお客を引き抜くことなど、義理を欠く行為は慎むべきであるところを、Y氏は平然と集客根拠に持ってきているところを疑問視されたのだ。
もちろんここに根拠などは存在しない。それどころか、このようなケースでは実際に開業してみたものの、友人たちは元の教室から移ってきてくれないことがよくあるのだ。


さらには資金計画にも大きな問題点が存在する。今回Y氏は、新たに始めようとするウクレレ教室の起業資金を全額融資で調達しようとしている。これは金融機関への心証を悪くすることがある。なぜ自己資金を投下しないのか、の理由が必要となるのだ。

本業が順調であり、その延長線上での店舗展開や新規事業を検討する場合、自己資金を投じる場合と金融機関融資を用いる場合の有利不利判断をすることになる。一部自己資金を投下しながら融資を利用するケースが多いが、その場合も融資を利用する目的や理由が明確なのだ。

ところが本業が不調で先行きが見込めなくなったため、新規事業に手を出そうとする経営者がいる。本業で競合も多くなり、来客数がどんどん減少してくると、新天地を求め始める経営者がいるのだ。
この場合、当然ながら自己資金などあるはずが無い。となると開業資金を全額融資に求める理由は「おカネがないから」となる。
金融機関が重要視することは「返済してもらえるかどうか」である。とりわけ事業による儲けから返済してもらう事が重要なのだ。契約時に保証協会や連帯保証人を付けることが多いが、ここから回収することは最終手段であることは言うまでもない。
本業ですら儲けられない企業が、これまで事業としての経験が無い分野に進出して成功できる確率はほぼゼロに等しいのだ。

Y氏は後者に該当する。ここ数年、本業は不調であった。常連客である10名も平均年齢はかなり高いようなので、これからどんどん来客数は減少していくことが見て取れる。そこでY氏は今のうちに趣味のウクレレで生計を立てられるようにしようと考えたようだが、本業や生活に余裕がない状態で冒険をすることは勧められない。


結論は、否決。
理由は次の通りである。
1)すべての計画がギリギリで組み立てられており、何か一つ狂えば
  すべて崩壊する危険性を含んでいること。
2)家計全体の所得(年間260万円)を考えた場合、現在の3人での生
  活がすでに困窮の状態にあると判断されること。
3)もし弟のアルバイトがなくなったり、収入が減少すればたちまち
  生活に行き詰まることになること。
4)近隣には他に競合の教室が無いとのことであるが、そもそも自分
  が通っている教室が強力な競合であること。
5)堂々と脱税の話をするところから、すべての主張に信頼性がなくなる
  こと。


本業の所得をごまかしたうえ、その資金を趣味につぎ込むという計画性のなさに加え、あまりにも事業計画が行き当たりばったりのものであるため、これを担保に融資は難しいと判断されたケースであった。


融資審査会議実録としてはここまでで終了だ。
しかし大切なことは、ここから先にある。
融資申込が否決された場合、その否決理由が経営者に伝えられることはほとんど無い。
今回の場合、Y氏に伝えられるのは事業計画の不十分さだけである。
こうして悲劇は生まれる。
Y氏に限らず事業計画の不十分さを指摘された経営者は、再度事業計画を練り直して融資を申し込んでくることがある。
しかし何度申し込んでも否決されることがあるのは、否決された理由が他にも存在するからなのだ。
社会情勢や金融機関の方針による貸し渋りは確かに存在する。
しかし一般的に貸し渋りだと思われているケースの中には、今回のようなものが多いことは知っておいて損はないだろう。

(注)ストーリーそのものは架空であり、事業者も特定できないようにしています。ただ各回でポイントとなっている部分は事実であり、実際に審査会議で問題となった部分です。