動物行動学から見る人材教育<センサーを増やす>

 

-----目の前で起こっていることが全て見えているとは限りません----

馬に乗っている期間が長くなればなるほど、全身の感覚が研ぎ澄まされてきます。

初めは何も感じ取ることができなかったわずかな動きからでも、様々な情報を読み取ることができるようになります。

例えば馬の耳の動きからは、その時の感情の変化がつかめます。耳をこちらに向けている時はこちらに興味を持っている時であったり、逆に耳を伏せて絞っている時は警戒心丸出しで怒っていたりします。また鳴き方からは馬の欲求が感じ取れます。

そしてお腹を気にする仕草からは疝痛(お腹の痛み。死に直結することもよくあります)がわかり、夏場の前掻き(前肢で地面を掻く仕草)からは熱射病の兆候が見えたりします。

馬に跨がっている時にも感覚が重要となります。

馬が走っている時に、鞍を通してお尻に伝わってくる微妙な振動があります。

はじめて馬に乗った人には何も感じ取ることはできませんが、上手なライダーはたったこれだけの情報からでも馬の後肢の位置を感じ取ることができます。

手綱から小指に伝わるテンションからは、馬の従順さが読み取れます。

初心者の頃は何も感じ取ることができなかったこれらの感覚は、それを感じ取るセンサーが増えるに従って感じ取ることができるようになります。

それに伴って少しずつ上達していきます。

 

 

-----センサーが脆弱では部下を効率的に指導できません-----

なぜこのようなセンサーが必要となるのでしょうか。

もしお尻のセンサーが脆弱で馬からの振動を感じ取ることができなければ、馬の後肢の位置が感じ取れないため、今の動きが正しいかどうかがわからなくなります。

こうなると馬が間違った動きをしていても、それを咎めて修正することができなくなってしまいます。

 

人も同じです。

例えば叱るのが上手な上司は、叱る時に部下の反応をよく見ています。

人は感情を隠すことができる動物ですが、「目は口ほどにものを言う」という諺通り、瞬間的にはその感情を隠しきれないことがあります。

叱られた部下がその叱責に反抗を感じた瞬間には、どんなに感情を隠そうとしても一瞬の目の動きにそれが映し出されるものです。

わずかな語調や態度の変化からもそれを感じ取れることがあります。

しかしこれらもそれを感じ取るセンサーを身につけていなければ、せっかくの情報も役には立ちません。

みすみすそれを見逃して、せっかくの部下を伸ばせる機会を不意にしてしまうこともよくあるでしょう。

 

-----自分の感覚が劣っていると考える人はほとんどいません-----

ところが、大きな問題がセンサーの研磨を妨げます。
一般的に人は自分の感覚が劣っているとは考えないのです。
人は自分のセンサーが感じ取れる範囲内の情報しか入手できません。
目の前に同じ光景が繰り広げられているとしても、センサーの質と量の違いによって、ある人には見える事柄でも別の人には映っていなかったりします。
同じものを見ていても、見えているものが違うのです。

 

決算書を見ただけでその企業の状態が絵画のように映し出されるセンサー、お客様との駆け引きをうまく乗り切るセンサー、絶妙なクレーム対応をこなすセンサー、叱った時やほめた時の相手のかすかな反応に気づくセンサー、教えた時に理解したかどうかを見極めるセンサー・・・。

 

センサーが研ぎ澄まされ感覚が磨かれてくると、それまでは見えなかったものが見えるようになってきます。

こうなるとより効率的に伝えたり教えたりすることができるようになり、最低限のプレッシャーをかけるだけで相手を正しい方向に導くことができるようになります。

 

副次的な効果として、やっている本人が楽しくなってくるためモチベーションが上がると共に部下が優秀になってきます。
優秀な部下を輩出できる、いつもモチベーションの高い上司が評価されないはずはありません。
そう考えると、どちらが副次的な効果なのかわからなくなりますね。

 

センサーを増やせばそれだけ新しい世界が見えてきます。

センサーの増やし方にはいろいろ方法があるのでしょうが、わたしは馬のトレーニングから学びました。
その方法は常に自分のセンサーは完全ではないと考え、どうすればそれを感じ取ることができるかを問い続けることだと考えています。

今から考えると、1年前のわたしでは感じ取ることができなかったことはたくさんあります。わたしのセンサーは今でも増え続けていますし、研ぎ澄まされ続けています。

センサーの更新が止まった時が、人の成長が止まる時なのでしょう。